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岡野絵里子『陽の仕事』 [詩作品]

しばらくご無沙汰しているうちに、もう大晦日になりました。
今年のさいごなので、好きだった詩集『陽の仕事』のなかからの一篇を載せたいと思います。


   光について                               岡野絵里子


眠りの中で人は傾く

昼の光を静かにこぼすため

鮮やかな光景を地に返すために



その日 私は沢山の光を抱いた

駐車場に並んだ無数の窓 その

一枚ずつに溜まった陽の蜜

無人の座席に張られた蜘蛛の糸を

渡って行ったきらめくビーズ

それから

聖堂の扉から 歩み出てきた花婿と花嫁



籠一杯の花びらを

私たちは投げ上げた

喜びと苦しみの果ての声のように



薔薇のように束ねられて

高価な写真におさまる人々

私たちはどこから来たのか

囁く過去の影の中から

夜毎の孤独な夢の中から



それでも



朝の最初の光と共に 人は

あふれるように歩いて行く


    ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

新しい年を迎える前の夜に、あらためてこの詩を読み返す。ひとりひとり、どんな夢の
中を通り抜けていようとも、朝の光がさして来るたびに、あふれるように共に歩き出して
いけるといい…と思う。
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ツワブキ 村野美優 [詩作品]

パソコンが半月ばかり修理に出ていたので、ご無沙汰しました。私は「ひょうたん」という詩誌の同人ですが、10月に届いた48号のなかに、好きな詩がありましたのでご紹介します。


        ツワブキ            村野美優

                                                                                                      
グリースでつやつやにした

深みどりのグローブで

まいにち夏の陽射しと

キャッチボールしたから



 ツワブキは秋になると

 からだじゅうに漲る

 太陽光で発電し

 頸をのばして

 道端や丘の裾を

 照らしはじめる    




 この家の裏扉にも

 今年はじめて

 ツワブキの明かりが灯った

 しゃがんで顔を近づけると

 あまずっぱい

 夏の子どもの匂いがした



 やがて冬の風に

 明かりを吹き消されてしまうと

 キツネ色の毛皮の帽子をかぶって

 ツワブキは旅に出る

 風に乗り

 雨に乗り

 どこかべつの片隅へ

 また陽射しと

 キャッチボールするために 


      ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””” 


擬人法的な書き方で、ツワブキの生き生きした表情とありようが、クローズアップされてきて
やあ、ツワブキ君!と話しかけたくなりました。親しい仲間だったことに気が付いたみたいに。
第一連と最後の連とが呼び合っていて、最後まで読んでもう一度最初の連に戻った時、わ、
やられた!という気になりました。3連の”夏の子どもの匂いがした”もいいですね!

村野美優さんの詩には大地にしゃがんで(あるいは寝ころがって、)草や花々や虫たちと同じ
位置から、この世界を感じ取る子どもみたいなまっすぐな感性が感じられます。それが読み手
の心を解放してくれるのかもしれません。

私はこのところ、読書会で賢治の童話作品を読んでいるのですが、彼の物語を読んだ後などに
道端の木々や草花や電線や人々といっしょに私も、物語の続きのなかを歩いているような錯覚に陥りかけます。植物だったら異世界に移植された感じとでもいうのでしょうか。

作者のみずみずしい感性とその描写が、読み手を日常から引き抜いて異世界へ連れて行く
…というか、ほんとうの現実の明度に気づかせてくれるのかもしれません。この詩を読んで、
ふとこの賢治体験を思いました。
      
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『夢宇宙論』より [詩作品]

信じられないほど長く雨も降らず、ただ暑さが続いている。むかし、ショーロホフだったかの
小説を読んだとき、「双子のような日々が」いつまでも…、という表現に出会い、慣れない表現
だったので、印象に残った。それがこの暑い日が毎日繰り返されると、突然よみがえってくる。
双子のように変わらない毎日の暑さ!だが、それどころかじりじりと暑さが増してくるように感じるのはこちらの体調のせいなのだろうか。やれやれ! 
と、つい村上春樹風につぶやいてしまう。

そんな日々に、柳内やすこさんの『夢宇宙論』の作品に触れると体感的に、涼しくなる気がする。



                   名前                                               柳内やすこ 

ずっと昔
ずっとずっと昔
生まれる前の
光に満ちた天の草原の
小川のほとりで
私は誰かに呼ばれていたような気がする
それは
この世のどの言語にもない
低くて優しく根源的な響きで
短く繰り返される私の名前
無心に手で水を掬う小さな私を
そっと振り向かせ
微笑みをさせてくれた
遠い呼び声が
いつもそこにあった気がする


始まりの前であり終わりの後である世界には
ただひとつであり無数でもある名前で呼ばれる
白い子供たちがいて
いのちの灯されるまでの永い時を戯れながら待っていた


ずっと昔
ずっとずっと昔
呼ばれていたその名前で
いつかまた私が表される時が来るだろう
それは
この世のどんな音楽も奏でることのない
深くて荘厳な裸の調べで
誰かに歌われる私の名前


            ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

この世を去ってしまったら、もうモーツアルトの音楽がきけないな…と思ったことがある。
でもこのラストの連を読んで、ではそんな音楽を聞ける日がくるのだと…と思い直す。
世界が一つの音楽であればと思う。


           
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詩誌「ORANGE」から [詩作品]

中本道代・國峰照子・古内美也子さんの3人による『ORANGE』という詩誌はとても魅力的だ。

手のひらに乗るくらいの小さくて軽い詩誌だが、その内容は豊かで、詩を読むときめきを与
えてくれる。いずれもシュールな手法や新鮮な遊びにあふれ、根本には詩を生み出す自由
な精神があってそれらをそっくり読み手に手渡してくれる。
時折、風に乗って舞い込む一枚の葉のような詩人の夢の言葉に、私は愉しさと歓びをもらって
いる。


最近38号が届きましたが、今日はちょっと前の30号(2010年夏)から、中本さんの詩を
紹介します。

        五月の城                                                        中本道代 


五月に行方不明になった子は
風が知っているか
毎日大きくなる葉の重なりの奥に
渦まいている小さな風の城
その中に迷い込んで
出口がわからなくなっているのではないか
小さな小さなからだになって



五月に行方不明になった子を
どうしたら連れ戻せるか
五月の向こうはただ風ばかり
ばらが首をかしげ
ジギタリスが笑いかけても
心臓は固い石になって縮む



五月に行方不明になった子が
佳いものをみんな持っていった
やわらかい皮膚
あたたかいからだ
敏捷なこころ
ひそやかな声
抱擁の幸せ


五月に行方不明になった子を
探してさ迷う
すべてを捨てて風の奥に
どうしたら入って行けるだろうか 


      ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””” 


五月は晴れやかな季節なのに、いつも何か大きなものとの別れと不安を感じる季節でもある。
五月の花、みずきの満開のときには、歓びと切なさが紙一重だ。やがて失う大きなものへの予感
におびえているように。      
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葉月のうた 佐藤真里子 [詩作品]

                   葉月のうた
                                               佐藤真里子

    夏の野の茂みに咲ける姫百合の
    知らえぬ恋は苦しきものを
      万葉集(巻8・1500)大伴坂上娘女


   

    異界との境界が消える
    逢魔が時
    木陰に
    椅子とテーブルを出す
    微かな風が
    葉先をゆらす



    硝子の杯によく冷えた酒を満たし
    レタス、パプリカ、ラデッシュには
    オリーブ油と岩塩とバルサミコ酢を
    強く想えば願いは叶うもの
    飲んで
    もっと
    飲んでと
    
    

    影のわたしにもすすめ
    傾き濃さを増す陽の光が
    夏草をすり抜けて届く風が
    わたしをもゆらし
    「独りの酒はつまらないだろう」と
    とても遠くから耳元でつぶやく声




    草の海をかきわけてやって来る
    その声のひとと
    陽が沈む
    向こうへと
    泳いでゆこう




  ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””


この詩は佐藤真里子さんが、《今と昔のうた暦》という企画で、青森の新聞に連載しておられる
シリーズの1篇です。 昔の有名な和歌を枕にして、そこから現代の詩を立ち上げるという試み
を、今の紙上で読むと、何かまた未知の風が立ち初めたようで、興味深いものを感じました。
うたと詩の背景の空間が互いにこだましあって、異次元の詩的ざわめきを深めるようです。
食事や料理のシーンをとりあつかうとき、佐藤さんの腕がとりわけ冴え、その味付けが他の
追随を許さないことが多いのですが、この詩でも、逢魔が時の木陰の会食に、知らず知らず
まぎれこみ、酔いしれそうな自分を感じました。たのしくて、やがてかなしい、行方の知れぬ
飲み会のアラカルト。この企画の続きが待たれます。  

    
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ロッテ・クラマーの詩 [詩作品]

詩人、英文学者、エッセイストである、木村淳子さんから送られてきた「ロッテ・クラマー詩選集」
(土曜美術出版販売)は忘れがたい訳詩集だった。まずロッテ・クラマーについて、木村さんの
あとがきから引用させていただく。

(ロッテ・クラマーは1923年にドイツのマインツで生まれた。代々この地に住む中産階
級のユダヤ人であった。1933年にヒットラーが政権をとると、ユダヤ人の生活がしだいに
圧迫されはじめ、1939年、ユダヤ人たちは児童救援船を仕立てて、約一万人の子どもた
ちをイングランドに送った。ロッテ(当時15歳だった)もその一人であり、それ以降、彼女は
両親に会うことはなかった。両親はポーランドに送られ、そこで命を絶たれたと考えられる。
彼女はその後イングランドに暮らし結婚し、詩を書くようになった。現在(2007年)までに
9冊の詩集がある。)

詩集にはナチの暴虐が落とした影、別れた肉親への屈折した思い、人間存在の根源に潜む
悲哀、同時にそれをいとおしむ気持ちがこめられているとも。

彼女の声は静かで、優しく、その表現はナイーブで繊細であり、親密さを感じずにいられない。
彼女は母国語であるドイツ語と、後から獲得した言語である英語との、バイリンガルである。
ドイツ語と英語、それは彼女によると「ひとつの方は…ほとんど詩のようなもの。もうひとつは
 まだ成就しない恋/触れてみたい温かい肩」…とバイリンガルという詩の中で書いている由。

以下は、木村淳子/ドロシー・デュフール共訳による詩集からの3篇です。


      テーブル・クロス

テーブル・クロス
白いリネンの目のあらい織物
いのちをなくしたもののように見える
糸はところどころ ゆるやかに裂ける
奈落に落ち込む夢から
覚めて
信じられずにいるときのような


この布もそのように擦り切れている
父方の祖母が 平和な時代に
織ったクロス
どんな辛抱づよい思いをこの織機で
彼女は織り込んだのか
ちいさな村のくらしぶり 大切な時間
彼女のかなしみを際立たせる


いま このもろい薄布にふれ 拡げ
そのうえに
私たちのワインとパンをのせる
布がゆっくりと命をなくしていくのを見ていると
かなしいのは それが裂けていくからではなくて
平和が壊れて 根無し草になる
その不安と恐れを感じるからなのだ


       
       赤十字の電報

赤十字の電報が
届いた
そこには恐怖 不安を秘めた
次のような文字があった
私は あえて知ろうとしなかったが
そこに隠されている残虐さを
今の私には理解できる
「引っ越さなければなりません
私たちの家はこの町から
なくなるのです
愛する子供よ さようなら」
どうして私にレクイエムなど
歌えるだろう
沈黙の暗い絶望のなかでー
あなたたちの受難 苦しみの釘と
ガスと墓とを美化して

       

         緑の喜び


初物の豌豆のさやをむく
緑の喜びー
先の部分を親指で静かに押す
すると莢は割れて
小さな緑の真珠が現れる
すばやく調理する 甘さと新鮮さ


毎年夏になると
私は それらがやさしくぽんと
口をあけてくれるのを楽しみにする
まだ若い莢から息が漏れ
鍋がたくさんの緑の約束で
満たされていくのを見る



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いつか別れの日のために(高階杞一詩集) [詩作品]

『いつか別れの日のために』(高階杞一詩集)が届いたのは、ちょうど蓼科への旅に出る直前だったので、鞄にいれてそのまま出かけた。短い旅だったが、その間ずっと読んでいたので、蓼科高原の緑の空気といっしょに、心に染み入ってしまった気がする。こういう詩の読み方ってなかなかできないし、タイミングも良かったのかもしれないが、それ以上に詩の力だったと思える。


  純朴の星                             高階杞一

宇宙の片隅に
とても純朴な星がありました
地球のように
そこには
海や川や草木があって
とうぜん 人間みたいな人もいましたが
地球と違って
人は寿命が一日ほどしかありません
朝 陽が出る頃に生まれた人は
翌朝 陽が出る前にはみんな死んでしまいます
久し振りだね
というのは
この星ではほんの数十分のことです
半日も会わないと
もう顔も忘れるほどになってしまいます
ですから
この星の人たちは
大切な人と出会ったら手をつなぎます
手をつないだまま仕事をし
手をつないだまま本を読み
手をつないだまま食事をします
そして
死ぬときにやっと手を放します
「ずっと手をつないでいてくれてありがとう」
それがこの星でのお別れの言葉です

夜中 外に出て
空を見上げていると
なつかしい声がひびいてきます
暗い空から
ズット手ヲツナイデイテクレテアリガトウ

ずっと手を
つないでいてあげられなかった僕に







   草の実 


散歩に行くと
犬は草の実をいっぱいつけて
帰ってきます
草むらを走り回るので
草の実は
遠い草むらから
我が家に来ます
こんにちは
とも言わず
我が家の庭で暮らします
春になり芽を出して
どんどん大きく育っていきます
庭はいろんな草でいっぱいになります
私と犬は草の中で暮らします
草の中で
ごはんを食べて
排泄をして
いつか
さようなら
とも言わず
私も犬も 順番に
ここから去って行くのです
どこか
遠いところへ
草の実をいっぱいつけて


”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

この詩集を読んだとき、とても哀しくなった。私にとって生きていることの哀しさ…みたいなものを
ひたすら感じてしまう…このような詩集に出会うのは、多分初めて?だろう。遠いところへ”草の実を
いっぱいつけて”去っていく。…ほんとだと思う。幼いころ草の実をいっぱいつけて家路についた
ことがあったっけと思い出す。もうその野原はどこにもない。

ところで浮世の草の実というものもありそう。年月とともにいっぱいそんな実もわが身にくっついて
いるかもしれない。せめてそれらが緑いろしたきれいな実だといいなあと思う。

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饗音遊戯6(七月堂刊) [詩作品]

先日久しぶりに明大前の七月堂を訪ね、編集の知念さんと会った。「二兎」3号の依頼のためだった。用件を終えてから、いろんな話をする。大体知念さんが話していて、私は聞いていた気がする。話は主として3,11以後の表現活動や、言葉のことなど。また一昨年他界された木村栄治さんの果敢な生き方のことなど。結構重い内容でもあったが、興味深く刺激的だった。いろんなことを考えさせられたユニークないっときだった。

その際教えられて、購入した「ろうそくの炎がささやく言葉」(菅啓次郎・野崎歓編 勁草書房刊)を読めたこともよかった。それについてはまた紹介したい。

今日は七月堂出版の「饗音遊戯]から展開したSOUND ACID「A small amount of water」について一言。

これは英訳された詩の朗読と演奏のCDで、原作=白鳥信也著『ウォーター、ウォーカー』
作曲・監修=岡島俊治  朗読=Shin(HeavensDust) 英訳=Nozomi 

日本語版の白鳥さんのCD『微水』は以前聞いて、傑作だと思ったが、この英訳のCDはまた別の聴き方ができて、おもしろい!と思った。テキストの英語を見ながら、意味を追いかけることはあきらめて、耳に飛び込んでくる英語の断片を時々とらえながらも、音楽がダイナミックに流れるのに身を任せていると、響いてくる音の世界と、だんだん自分が一体化していくようで、自然体のままの心地よい時間を過ごしていることに気付く。

音楽であるけれど、それだけでなく詩(言葉とイメージ)の生み出した時間そのものだという経験だった。時間のくれるよい贈り物をもらった気がした。この体験は自分の感覚を広げていくだろうという予感がする。ときどき浸りにいきたい個人的な時間になるだろう。個人的な? そう、だれにも説明しないでいい時間かな。

もう一枚川口晴美さんの『GIRL FRIEND』がある。これを開くのはもう少し先にしよう。もう少し今の時間を引き延ばすために?

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脱け殻売り 柴田千晶 [詩作品]

神奈川新聞の旅人の歌の欄で好きな詩を見つけた。切り抜いてコピーして友達にまで配ってしまった。柴田千晶さんの作品です。


       脱け殻売り


   虹色の蛇の衣…飴色の空蝉…黒いアタッシュ
   
   ケースに脱け殻を詰めて男は旅をしている。

   どの町にも必ず一人、脱け殻売りを待つ人が

   いて、必ずその一人を男は探し当てた。なぜ

   こんな旅を続けているのか、男は時々わから
 
   なくなったが、 蛇の衣に潜り恍惚としている

   百歳の少女や、空蝉の中で灯る百二十歳の少

   年の姿を見て自問することをやめた。万緑の

   中を行く男の体はしだいに透けてゆき、黒い

   アタッシュケースの底にやがて畳まれてゆく。





”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

 とても不思議で美しく魅力的作品でした。でもそういう感懐よりも、具象としての脱け殻
 や、その内部で灯をともす少年たちの姿態、百歳の少女の見つづける夢の感触が無
 二の詩的魅力です。黒いアタッシュケースの内の闇にはこれからも日々積まれていく
 だろう脱け殻への予感がある。脱け殻と同じ数の夢のこだまがある。

 アタッシュケースの感じさせる重苦しさと、脱け殻の軽くはかないイメージとの違和感。
 ふと賢治の「山男の四月」に出てくる行李を思い出す。
 その行李の中身 の異様さを思い出す。
 またここでは抜け殻でなく、脱け殻と表現されている。 脱けるという表現が脱出を連想
 させるからか。 生きられて、そして消え去っていった時間の行方を思わせるからか…。

 
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ちいさいひとへ 三井葉子 [詩作品]

2011、11月2日 
 福島第一原発の2号機で核分裂の可能性というニュース。たえず背中で火がボウボウの
(かちかち山の)タヌキみたいな私です。

 とても好きなル ・シダネルの展覧会が軽井沢のメルシャン美術館で開催中、それもこの
美術館は6日で閉館ということを今頃知り、どうしても見たくて滑り込みで見に行こうかと思って
います。いつか広島美術館で見て幻想的なその雰囲気に魅せられたのです。

              ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””


今日は三井葉子さんの詩集『灯色醱酵』から一篇を載せたいと思います。

     ちいさいひとへ
                         三井葉子



眠る子は
眠りのなかで夢を見ている
まだ 彼女自身が夢のようなのに
もう 彼女は夢を見ているのだ


過去が


彼女のなかにたぶん古い古い過去が彼女のなかに住みついているので


かわいそうに
もう 夢を見ている大昔の夢を
馬に乗って駆けていた 路地の溝に靴を落した
待っているのに来ないひとや
跳ねる鯉や
お箸を上手に使えない夢や
ああ
これからすこしずつ
彼女は一生 思い出して行くのだ


かわいらしい
花びらのようなくちびるをぽっとあけて眠っている


どうかそこからよいものが入って行き
よくないものは出て行くように


知恵や熱や
たましいとよばれるようなものはみな、空にあるので
アア アと両手を上げてカーテンを引っ張るように
空から
そんな
これから生きて行くのに要るものを引き落そうとしているのだ
そして響きをよりしろに降りてくるものがまいにち まいにち
ちいさいひとをそだてている

    ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

ちいさいひとへの静かな深い愛が、柔らかな感性で、こんなふうに描かれて
いるのに感じ入ります。夢を見るこども。古い古い過去が住みついている
こども。永遠の中からぽっかりと浮かんできた夢の泡のようなこども。
詩的想像力と感性が時間の壁を繊毛のように撫で、くぐり抜けてゆく感触。
詩表現を支えるゆるやかな呼吸。
眠り姫の呪いを解き、百年目の幸いを与えるためにやってきた,あの仙女
のまなざしを思い出します。

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